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長谷川穂積、引退から3ヵ月後の心境。「現役じゃないけど一生ボクサー」【換金くん札幌本店ブログ】

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長谷川穂積インタビュー@前編
 引退会見から3ヵ月――。長谷川穂積に会うため、地元・神戸を訪れた。17年間のボクシング人生にピリオドを打った今、彼はどんな想いで現役時代を振り返るのか。現在の心境を聞いてみた。
戦績41戦36勝5敗――。ほとんど勝った。稀に負けた。ただ、その星が白くても、黒くても、長谷川穂積の試合は魅惑的だった。

 2016年12月9日、神戸市内のホテルでの引退会見。「引退」の二文字を発することにためらいはなかった。引退会見の壇上、予想以上に詰め掛けた報道陣を前に、長谷川はこんなことを思う。

「過去のどの試合よりも、記者や報道陣の数が多かった。『ボクシングを17年間してきたことが、この景色につながったんだ』と。本当に大勢の人が集まってくれたこの光景が、現役最後のご褒美じゃないですけど、ボクシングに出会い、一生懸命やってきてよかったなと心から思えました」

 引退を決断したのは、3階級制覇を成し遂げた2016年9月16日の試合から2ヵ月後、11月下旬のことだった。「ベルトを獲る理由はあったが、守る理由が見つからなかった」と長谷川は語る。

「自分が思い描いた以上の道を歩んできた。もちろん、『現役』という選ばなかった道に後ろ髪は引かれます。それでも客観的、総合的に見て、辞め方も含め、これ以上ないボクシング人生だったと思います」

 長谷川は2011年4月8日、ジョニー・ゴンサレス(メキシコ)に敗れてWBC世界フェザー級王座から陥落した日に、「いつか現役生活には終わりが来る」と悟ったという。

「それまでは、ほんまに永遠にボクシングをやるんやろうなって思ってました。頭では、いつかは引退する日が来ることを理解していても、心では、『いうてもやり続けるやろ』と。ただ、負けるはずがないと思っていたジョニー・ゴンサレスに負け、『いつか現役生活に終わりは来るんだ』と皮膚感覚で実感できた。だから、必死に考えたんです。どういう終わり方を、俺は望んでいるのか?」

 時計の針を、もう少しだけ戻したい。

 2010年4月、長谷川はフェルナンド・モンティエル(メキシコ)に敗れ、10度防衛したWBC世界バンタム級のベルトを失っている。同年11月26日にWBC世界フェザー級王座決定戦、ファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)との一戦が決まるも、試合のわずか1ヵ月前に長年闘病生活を送っていた母が、この世を去った。

「ブルゴス戦は、この試合だけは母のために闘いました。だから、絶対に負けられなかった。もし負けたら、俺は死のうと覚悟してました」

 結果、長谷川はブルゴスを破り、飛び級での2階級制覇を達成する。しかし、前述した4ヵ月後のゴンサレスとの初防衛戦で、あっさりと敗れる――。現役時代、どの敗戦についても、何度聞いても、敗因を尋ねると、長谷川は決まってこう答えた。

「結果がすべて。俺のほうが弱かったから負けた。それだけです」

 言い訳も、泣き言も、一度も聞いたことがない。

 引退した今だからこそ、その裏側にあった想いを長谷川は語り始める。

「ブルゴス戦の勝利は、達成感、充実感という面でキャリア最高の瞬間でした。あれ以上の瞬間は、後にも先にもない」

 そしてそこに、ボクシングという競技の深淵をのぞく。

「ボクサーは試合までに体重を規定内に落とし、身体を作らなければいけない。でも、それだけじゃない。同時に、闘う心も作らなければいけない。イメージは、試合に向けて大きな荷物をゆっくりと持ち上げ、試合が終われば、それをゆっくり降ろすような感覚」

 亡き母のためにリングに上がったブルゴス戦――。そのとき、長谷川が抱え上げた荷物は、大きさも、重さも、過去最大だった。それを降ろすのにも、さらには新たな荷物を持ち上げるのにも、ブルゴス戦の勝利からゴンサレス戦までが4ヵ月というのは、あまりにも時間が短すぎた。さらにその間、東日本大震災も起こり、阪神淡路大震災の被災者でもある長谷川は、「今、闘う理由」を見いだせないまま、ゴンサレス戦のリングに立った。

「それでも勝てると思っていたんですけどね」

 敗戦後、「どういう終わり方を、俺は望んでいるのか?」と自身に問うと、答えが見つかる。

「このままでは終われない。もう1回だけ世界チャンピオンになって辞めよう。もう一度、ベルトを獲って終わることが、一番幸せじゃないか」

 この日から、長谷川穂積の第2章とも呼ぶべき、第1章以上に長く険しい闘いの日々が始まる。

 簡単に世界戦は決まらなかった。トレーニングをしながら、ただ待つしかない長谷川は、「あと、どれくらいがんばれる?」と自問する日々を過ごした。当時、「今年(2014年)の春くらいに決まらなければ、それも運命。あきらめて引退するつもりだった」と語っている。まさにタイムリミットぎりぎりの2014年4月、キコ・マルチネス(スペイン)とのIBF世界スーパーバンタム級タイトルマッチが決まった。

 しかし、3年ものあいだ待ち望んだはずの世界戦にもかかわらず、リングに上がった瞬間、「試合は終わっていた」と長谷川は明かした。

「早く世界戦がしたい。そう思い続けても全然決まらなかった。それがやっと実現した。『よかった、やっと決まった』とうれしくて。リングに上がった瞬間、気持ちが切れたんです。試合が決まったことで、どこか集中の糸が切れてしまった。試合中、すごい無気力で。『しまった』と思っても、もうどうにもならない。『違うだろ、試合が決まって喜ぶんじゃない。勝って喜ばなきゃ』って、試合中に考えてました」7ラウンド、長谷川は壮絶なTKO負けを喫する。

 ベルトに挑戦できる日は、次はいつになるかわからない。それどころか、もう二度とチャンスは来ないかもしれない。それでも、マルチネスに負けたまま辞めることはできなかった。

「これはちゃうわ。もう1回だけ、もう1回だけでいいから世界戦をさせてほしい」

 ふたたび、耐える日々は続く。

 2015年、長谷川は2試合のノンタイトル戦を行ない、どちらも判定勝ちしている。しかし、内容はお世辞にも褒められたものではなかった。特に12月11日のカルロス・ルイス(メキシコ)との試合では、3ラウンドと5ラウンドにダウンを奪われ、セコンドがタオルを投げ込もうとするシーンすらあった。そして試合内容以上に長谷川の心を傷つけたのは、観客の歓声だった。

「危ないと思ったんでしょうね。僕がクリンチをするたびに、会場から拍手と歓声が上がったんです。あれには、情けなさや、悔しさがありましたね……。

 試合後、知人に相談したんです。『潮時なのかな?』と。知人は、『まだ続けたいんだろ? クリンチだろうがなんだろうが、歓声が上がったんだろ? それを見て喜んでいるお客さんがいたってことだろ? だったら、いいじゃないか。それはプロとして成り立っているってことだろ』と。たしかにそうだな。まだ俺のボクシングを見たいと思ってくれている人がいるってことだと。それが、現役を続ける支えのひとつになりましたね」

 そうして迎えた2016年9月16日。ウーゴ・ルイス(メキシコ)とのWBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ。あの夜の長谷川穂積の勇姿を、多くのファンは、少なくとも会場に足を運んだファンは、生涯忘れないだろう。

 9ラウンド、ルイスの左アッパーを食らい、長谷川はぐらつく。ロープに詰め寄られ、悲鳴が会場を包んだ。絶体絶命のピンチにもかかわらず、長谷川は打ち合うことを決める。その勇気に、観客は叫んだ。声のかぎり叫んだ。

「行け、長谷川!」

 絶叫と歓声にかき消される9ラウンド終了のゴング。10ラウンド開始のゴングが鳴るも、ルイスは首を横に振り、コーナーから立ち上がることを拒んだ。長谷川の勝利が決まった瞬間、この日、偶然となり合わせになった観客は抱き合い、多くの観客がうれしいはずなのに泣いた。自分以外の誰かの勝利に、あれほど心揺さぶられることは、人生でそう何度も起こることではないはずだ。

 引退を決めた理由を、「ベルトを獲る理由はあったが、守る理由が見つからなかった」と語る長谷川。しかし、もちろん心が揺れなかったわけではない。

「5年ぶりのチャンピオンですからね。周囲もチヤホヤしてくれるわけです(笑)。次の試合はウン千万と具体的に金額を提示されたりもしました。それならって、一瞬は思いましたよ」だが、長谷川はリングから降りることを決断した。それは、ボクシングという競技への敬意だったのかもしれない。

「やりたければ、やればいい。ただし、チャンピオンだけは別。義務として防衛戦をしなければいけない。自分の事情だけで試合が組めないのがチャンピオンですから。もし、俺が試合をしたいタイミングまで待ってもらえるんやったら、現役を続けていたかもわからないです。でも、そうはいかないのがチャンピオンなんで。自分が納得できるタイミングで試合ができないのであれば悔いが残るということを、僕はこの5年間で学んだ。だから1回、ここで区切りをつける。もし、どうしてもやりたくなったら、そのときに考えようと」

 野暮だとわかりながら聞いた。「キャリア最高の瞬間」と振り返る、母に捧げたブルゴス戦の勝利。その試合以降、夢に母が現れたことはあるか?

「それが、ないんですよね。全然出てこない。出てきてほしいんですけどね。もし声をかけられるなら? 『ボクシング、辞めたよ』ですかね。きっと、笑いながら『お疲れさん』って、褒めてくれるんじゃないですか」

 そう話すときの長谷川の目は、現役時代は一度も見せることがなかった優しさを帯びていた。

 長谷川は引退発表から3ヵ月経った今も、時間が許せば朝には走り、練習も続けている。やはり、聞かずにはいられなかった。

「もう一度、リングに立つ可能性はあるんですか?」

 ためらう様子もなく、長谷川は「ありますよ」と即答した。

「世界タイトルマッチ、もしくは、それに匹敵するビッグマッチなら。ビッグマッチがそう簡単に決まらないの、僕が一番知ってますけどね。もしも決まるなら、それも運命だと、やりますよ」

 では、ビッグマッチとは、具体的にはどんな試合を指すのか?

「たとえば、もしも、ノニト・ドネア(フィリピン)に『キャリアの最後にお前とやりたい』って言われたら、やるに決まってるんですよ。来月って言われたら無理ですけど、きっちり時間を取ってくれるなら。僕はドネアとずっとやりたかったんで。絶対にやります」

 彼がもう一度リングに立つ日が来るのか、今は誰にもわからない。しかし、長谷川穂積は言った。

「僕は今、現役じゃない。でも、一生ボクサーなんで」

 その目は、現役のボクサーのそれ、そのものだった。

(後編に続く)

【profile】
長谷川穂積(はせがわ・ほづみ)
1980年12月16日生まれ、兵庫県西脇市出身。168.5センチ。サウスポー。真正ボクシングジム所属。1999年11月にプロデビューし、2005年4月、プロ20戦目での世界初挑戦で王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)を倒してWBC世界バンタム級チャンピオンとなる。その後、世界王座に5年間君臨し、その間に10度の防衛に成功。2010年4月に王座から陥落するも、同年11月にWBC世界フェザー級王座を奪い取る。2016年9月、WBC世界スーパーバンタム級王者となって3階級制覇を達成して引退。生涯戦績41戦36勝(16KO)5敗。
水野光博●取材・文 大村克巳●撮影

長谷川現役の時強かったですよね・・・。
長谷川穂積、引退から3ヵ月後の心境。「現役じゃないけど一生ボクサー」
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