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オウム元信者の本心は? 裁判で残る疑問【換金くん琴似店ブログ】

“オウム真理教の元信者で、地下鉄サリン事件で実行役を送迎したとされる高橋克也被告(58)に7日、2審の東京高等裁判所は、無期懲役の判決を言い渡しました。法廷に事件の当事者を呼ぶのはこれが最後で、オウム真理教による一連の事件の裁判は、大きな区切りを迎えました。
しかし、事件の遺族からは、「わからないことがまだたくさんある」という声が上がっています。21年間、裁判を見続けた遺族の胸に残ったのは、元信者たちの「本心」がわからないという疑問でした。(社会部司法担当)
21年のオウム裁判に区切り地下鉄サリン事件など、日本を震撼(しんかん)させたオウム真理教による一連の事件。平成7年から始まった刑事裁判は、192人にのぼる元信者らが起訴され、教団の元代表、麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚など13人に死刑が言い渡されるという、前例のないものになりました。
この中で最後になったのが、高橋克也被告でした。特別手配犯として、17年に及ぶ逃亡の末、4年前に逮捕された3人のうちの1人です。
7日、東京高等裁判所は、高橋被告に、1審に続いて無期懲役の判決を言い渡しました。最高裁判所の審理は書面で行われるため、教団関係者を法廷に呼ぶ審理は、この裁判が最後となります。21年にわたった一連の事件の裁判は、大きな区切りを迎えました。

遺族は「納得感得られず」

この日、法廷には、地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんの姿がありました。
シズヱさんたち遺族は、犯罪被害者が国に働きかけて実現した「被害者参加制度」を使って裁判に参加していました。しかし、高橋被告は、法廷の遺族たちとは、最後まで目を合わせることはなく、謝罪の言葉もありませんでした。シズヱさんは、判決の後の記者会見で、「被告の気持ちはどうだったのかという審理が省かれていたので、被告を理解するには至らなかった」と話し、高橋被告の裁判を含め、21年にわたった一連の裁判で納得感は得られなかったと振り返りました。本心は?膨らむ疑問

平成7年に起きた地下鉄サリン事件。シズヱさんは、霞ヶ関駅で勤務していた夫の一正さんを亡くしました。突然、最愛の夫を奪われ、自分の人生を大きく狂わされたシズヱさんは、裁判が始まると、どんな内容でも知りたいと、連日裁判所に通いました。夫の遺品のファイルで作った当時のスケジュール帳には、傍聴する裁判の時間がびっしり書き込まれています。教団の幹部だった元信者の裁判は、ほとんど傍聴しました。
裁判では、誰の指示で、誰がいつ何を行ったのかなど、事実関係については、次第に明らかになっていきました。しかし、被告の心のうちは、なかなか明らかになりませんでした。若者たちがなぜ犯行に及んだのか、被害者のことをどう思っているのか、「本心」を知りたいという思いは、シズヱさんの中でだんだん強くなっていったといいます。

例えば、地下鉄サリン事件の実行犯で、初めて刑が確定した林郁夫受刑者。早くから捜査に協力し、事件解明のきっかけとなった人物です。ただ、動機については「松本死刑囚の指示に従った」と述べる一方、当時、なぜ犯行を思いとどまることがなかったのか、詳しく述べられることはありませんでした。
シズヱさんは、その後も裁判所に通い続けました。しかし、裁判は、誰がどの程度の罪を犯したのかという事実関係を中心に審理され、心のうちについて、求めていたような踏み込んだやりとりが行われることはありませんでした。
シズヱさんは、「裁判での言葉は裁判官に向かって言っている言葉としか受け取れませんでした。やはり、死の重みというのを感じたことはあるのか、聞きたいと思いました」と振り返っています。

手紙から見えた「希望」JUST IN
就学支援金の不正受給事件 運営会社元監査役を逮捕9月14日 10時55分

WEB
特集 オウム元信者の本心は? 裁判で残る疑問
9月13日 18時05分
オウム真理教の元信者で、地下鉄サリン事件で実行役を送迎したとされる高橋克也被告(58)に7日、2審の東京高等裁判所は、無期懲役の判決を言い渡しました。法廷に事件の当事者を呼ぶのはこれが最後で、オウム真理教による一連の事件の裁判は、大きな区切りを迎えました。
しかし、事件の遺族からは、「わからないことがまだたくさんある」という声が上がっています。21年間、裁判を見続けた遺族の胸に残ったのは、元信者たちの「本心」がわからないという疑問でした。(社会部司法担当)
21年のオウム裁判に区切り

地下鉄サリン事件など、日本を震撼(しんかん)させたオウム真理教による一連の事件。平成7年から始まった刑事裁判は、192人にのぼる元信者らが起訴され、教団の元代表、麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚など13人に死刑が言い渡されるという、前例のないものになりました。
この中で最後になったのが、高橋克也被告でした。特別手配犯として、17年に及ぶ逃亡の末、4年前に逮捕された3人のうちの1人です。
7日、東京高等裁判所は、高橋被告に、1審に続いて無期懲役の判決を言い渡しました。最高裁判所の審理は書面で行われるため、教団関係者を法廷に呼ぶ審理は、この裁判が最後となります。21年にわたった一連の事件の裁判は、大きな区切りを迎えました。

遺族は「納得感得られず」

この日、法廷には、地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんの姿がありました。
シズヱさんたち遺族は、犯罪被害者が国に働きかけて実現した「被害者参加制度」を使って裁判に参加していました。しかし、高橋被告は、法廷の遺族たちとは、最後まで目を合わせることはなく、謝罪の言葉もありませんでした。シズヱさんは、判決の後の記者会見で、「被告の気持ちはどうだったのかという審理が省かれていたので、被告を理解するには至らなかった」と話し、高橋被告の裁判を含め、21年にわたった一連の裁判で納得感は得られなかったと振り返りました。

本心は?膨らむ疑問

平成7年に起きた地下鉄サリン事件。シズヱさんは、霞ヶ関駅で勤務していた夫の一正さんを亡くしました。突然、最愛の夫を奪われ、自分の人生を大きく狂わされたシズヱさんは、裁判が始まると、どんな内容でも知りたいと、連日裁判所に通いました。夫の遺品のファイルで作った当時のスケジュール帳には、傍聴する裁判の時間がびっしり書き込まれています。教団の幹部だった元信者の裁判は、ほとんど傍聴しました。
裁判では、誰の指示で、誰がいつ何を行ったのかなど、事実関係については、次第に明らかになっていきました。しかし、被告の心のうちは、なかなか明らかになりませんでした。若者たちがなぜ犯行に及んだのか、被害者のことをどう思っているのか、「本心」を知りたいという思いは、シズヱさんの中でだんだん強くなっていったといいます。

例えば、地下鉄サリン事件の実行犯で、初めて刑が確定した林郁夫受刑者。早くから捜査に協力し、事件解明のきっかけとなった人物です。ただ、動機については「松本死刑囚の指示に従った」と述べる一方、当時、なぜ犯行を思いとどまることがなかったのか、詳しく述べられることはありませんでした。
シズヱさんは、その後も裁判所に通い続けました。しかし、裁判は、誰がどの程度の罪を犯したのかという事実関係を中心に審理され、心のうちについて、求めていたような踏み込んだやりとりが行われることはありませんでした。
シズヱさんは、「裁判での言葉は裁判官に向かって言っている言葉としか受け取れませんでした。やはり、死の重みというのを感じたことはあるのか、聞きたいと思いました」と振り返っています。

手紙から見えた「希望」

こうした状況を変えたのが、豊田亨死刑囚とのやりとりでした。シズヱさんの夫が亡くなった、地下鉄サリン事件の実行犯です。豊田死刑囚は、裁判では終始、無表情。謝罪の言葉は述べていましたが、本心をうかがうことはできませんでした。 事件から3年余りたったころ、シズヱさんは、豊田死刑囚に、被害者や遺族の心境をつづった本を送りました。「被害で大変な思いをしている人がいる、それを知ってほしい」という一心からでした。すると、思いがけず本人から感想を書いた手紙が届きました。その中には、自身の法廷での態度の真意が書かれていたのです。手紙には次のように書かれていました。

「私は裁きを受ける者として、遺族の方々、被害者の方々の不快感、怒り、悲しみを 増大させるような言動をつつしむことが、最低限の取るべき態度だと考えております(中略)それが結果として外面に感情があらわれない、という印象を与えることになってしまっているかもしれません(中略)全く申し訳ないことであると考えています」。
遺族や被害者を思えばこその、沈黙だったというのです。手紙を読んで、シズヱさんは、豊田死刑囚の本心に、ようやく触れることができたと感じたといいます。シズヱさんは、「もっといろんなことを直接聞いたらいろんなことが出てくるんじゃないか」と、希望を抱くようになりました。JUST IN
就学支援金の不正受給事件 運営会社元監査役を逮捕9月14日 10時55分

WEB
特集 オウム元信者の本心は? 裁判で残る疑問
9月13日 18時05分
オウム真理教の元信者で、地下鉄サリン事件で実行役を送迎したとされる高橋克也被告(58)に7日、2審の東京高等裁判所は、無期懲役の判決を言い渡しました。法廷に事件の当事者を呼ぶのはこれが最後で、オウム真理教による一連の事件の裁判は、大きな区切りを迎えました。
しかし、事件の遺族からは、「わからないことがまだたくさんある」という声が上がっています。21年間、裁判を見続けた遺族の胸に残ったのは、元信者たちの「本心」がわからないという疑問でした。(社会部司法担当)
21年のオウム裁判に区切り

地下鉄サリン事件など、日本を震撼(しんかん)させたオウム真理教による一連の事件。平成7年から始まった刑事裁判は、192人にのぼる元信者らが起訴され、教団の元代表、麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚など13人に死刑が言い渡されるという、前例のないものになりました。
この中で最後になったのが、高橋克也被告でした。特別手配犯として、17年に及ぶ逃亡の末、4年前に逮捕された3人のうちの1人です。
7日、東京高等裁判所は、高橋被告に、1審に続いて無期懲役の判決を言い渡しました。最高裁判所の審理は書面で行われるため、教団関係者を法廷に呼ぶ審理は、この裁判が最後となります。21年にわたった一連の事件の裁判は、大きな区切りを迎えました。

遺族は「納得感得られず」

この日、法廷には、地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんの姿がありました。
シズヱさんたち遺族は、犯罪被害者が国に働きかけて実現した「被害者参加制度」を使って裁判に参加していました。しかし、高橋被告は、法廷の遺族たちとは、最後まで目を合わせることはなく、謝罪の言葉もありませんでした。シズヱさんは、判決の後の記者会見で、「被告の気持ちはどうだったのかという審理が省かれていたので、被告を理解するには至らなかった」と話し、高橋被告の裁判を含め、21年にわたった一連の裁判で納得感は得られなかったと振り返りました。

本心は?膨らむ疑問

平成7年に起きた地下鉄サリン事件。シズヱさんは、霞ヶ関駅で勤務していた夫の一正さんを亡くしました。突然、最愛の夫を奪われ、自分の人生を大きく狂わされたシズヱさんは、裁判が始まると、どんな内容でも知りたいと、連日裁判所に通いました。夫の遺品のファイルで作った当時のスケジュール帳には、傍聴する裁判の時間がびっしり書き込まれています。教団の幹部だった元信者の裁判は、ほとんど傍聴しました。
裁判では、誰の指示で、誰がいつ何を行ったのかなど、事実関係については、次第に明らかになっていきました。しかし、被告の心のうちは、なかなか明らかになりませんでした。若者たちがなぜ犯行に及んだのか、被害者のことをどう思っているのか、「本心」を知りたいという思いは、シズヱさんの中でだんだん強くなっていったといいます。

例えば、地下鉄サリン事件の実行犯で、初めて刑が確定した林郁夫受刑者。早くから捜査に協力し、事件解明のきっかけとなった人物です。ただ、動機については「松本死刑囚の指示に従った」と述べる一方、当時、なぜ犯行を思いとどまることがなかったのか、詳しく述べられることはありませんでした。
シズヱさんは、その後も裁判所に通い続けました。しかし、裁判は、誰がどの程度の罪を犯したのかという事実関係を中心に審理され、心のうちについて、求めていたような踏み込んだやりとりが行われることはありませんでした。
シズヱさんは、「裁判での言葉は裁判官に向かって言っている言葉としか受け取れませんでした。やはり、死の重みというのを感じたことはあるのか、聞きたいと思いました」と振り返っています。

手紙から見えた「希望」

こうした状況を変えたのが、豊田亨死刑囚とのやりとりでした。シズヱさんの夫が亡くなった、地下鉄サリン事件の実行犯です。豊田死刑囚は、裁判では終始、無表情。謝罪の言葉は述べていましたが、本心をうかがうことはできませんでした。 事件から3年余りたったころ、シズヱさんは、豊田死刑囚に、被害者や遺族の心境をつづった本を送りました。「被害で大変な思いをしている人がいる、それを知ってほしい」という一心からでした。すると、思いがけず本人から感想を書いた手紙が届きました。その中には、自身の法廷での態度の真意が書かれていたのです。手紙には次のように書かれていました。

「私は裁きを受ける者として、遺族の方々、被害者の方々の不快感、怒り、悲しみを 増大させるような言動をつつしむことが、最低限の取るべき態度だと考えております(中略)それが結果として外面に感情があらわれない、という印象を与えることになってしまっているかもしれません(中略)全く申し訳ないことであると考えています」。
遺族や被害者を思えばこその、沈黙だったというのです。手紙を読んで、シズヱさんは、豊田死刑囚の本心に、ようやく触れることができたと感じたといいます。シズヱさんは、「もっといろんなことを直接聞いたらいろんなことが出てくるんじゃないか」と、希望を抱くようになりました。

本心を知ることが再発防止に

一連の裁判が区切りを迎え、シズヱさんは、法廷で被告に会うことができなくなりました。さらに、すべての裁判が確定すると、元信者たちの死刑執行が近づき、残された時間は限られているという危機感も強まっています。

こうした中、シズヱさんは、アメリカの化学兵器の専門家、アンソニー・トゥー博士の活動を知りました。日本を訪れたトゥー博士は、国の特別な許可を得て、サリンの製造に関与した教団の元幹部、中川智正死刑囚に何度も面会し、サリンを使った事件がなぜ起きたのか、詳しく調べていたのです。

厳しく面会が制限されている死刑囚に面会することも、不可能ではないかもしれない。シズヱさんは、死刑囚たちに会って話を聞くことができないか、弁護士に相談を始めました。ことし3月には、死刑囚と面会できるよう、法務省に要望書を出しました。さらに、シンポジウムや講演会などさまざまな機会でみずからの考えを伝えることで、多くの人たちに、事件のことに関心を持ってもらいたいと思っています。
そこには、遺族として真相を知りたいという気持ちだけでなく、元信者たちの「本心」に迫り、同じような事件の防止につなげたいという思いも込められています。
シズヱさんは、「事件に至る内実が何だったのか、もしかしたらわかるかもしれません。遺族がこだわらないと、何もなかったことになってしまいます。やはりこのことは言い続けていきたい」と決意を新たにしています。「オウム事件とは何か」考え続ける努力を

「なぜ犯罪に至ったのか。被害者の事をどう考えているのか」。犯罪の被害に遭った人たちが感じるこうした疑問は、再発防止を考える上で、私たちも知る必要があることではないでしょうか。しかし、オウム真理教による一連の事件では、教祖の松本死刑囚の強烈な印象の陰に元信者たちが隠れてしまい、「本心」を知ることが難しいように感じます。
シズヱさんは、21年間で、500回近く裁判に通いました。その強い原動力は「同じような事件が再び起きるのではないか」という危機感です。再びテロ事件が起きないよう、私たち一人ひとりが遺族の思いを受け止め、オウム真理教の事件について考え続けていく必要があると思います。”


オウム元信者の本心は? 裁判で残る疑問



実行犯それぞれ考えていることは違うでしょうけど、やはり宗教団体、という事もあり、中には教祖を神だと思っていた人間もいたでしょう。例えが悪いですが、自分たちの「神の国家」と自分たちを「迫害」している、と信じさせられて、「日本」という国家との戦争だと思っていたものもいるのではないでしょうか?こちらにその気が無くても、向こうは「戦争」と認識していたのならば、これまでの人類の歴史上の戦争同様に、今の戦争状態にない我々には理解できない思想や論理があるのではないかと思います。繰り返してはならない事件ですが、人類が自滅する前に答えは出るのでしょうかね・・・平常時の大量殺人は罪で、戦争時だと、敵国の人間を大量に殺害できた者が英雄になる事の解答が・・・

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