<東日本大震災>津波で決死の誘導、胸を張れ…長男へ
かけがえのない命と暮らしが奪われた東日本大震災から11日で3年を迎えた。増え続ける震災関連死を合わせ、犠牲者は2万1000人を超えた。地震・津波や東京電力福島第1原発事故で住まいを奪われた約26万人が、今も避難生活を強いられている。いとしい人への追慕、帰郷の誓い、支援者への感謝、風化の懸念。さまざまな思いが行き交う中、復興の道半ばの被災地に3度目の「3月11日」が巡り来る。
【いまと3年前、定置観測の写真特集】
◇福島県相馬市…阿部新太郎さん(73)、妻洋子さん(67)
長男の健一へ。
高校を中退し、父ちゃんと同じ漁師になったお前の腕はピカイチだった。20年かけ「親子船」の借金3000万円を払い終えた直後に、嫁と娘2人を残して津波にのまれ、まだ39歳で無念だったろう。
今は仮設住宅で暮らす父ちゃんも母ちゃんも、壁に飾ったお前の消防団の法被を見上げては、悲しみをかみころしてる。原発事故でダメになった漁が将来再開されても、やり直す気力がわかねえ。でもな、父ちゃんと母ちゃんが震災後も生きてこられたのは、健一のおかげなんだ。
消防団の副分団長として、お前は津波に襲われるまで避難を呼びかけ、多くの命を救った。「健ちゃんが『逃げろ』って怒鳴ったから逃げた」という人が大勢いる。震災直後は停電で、防災行政無線はうんともすんともいわねがったし、消防団が「命を救うとりで」だったんだ。父ちゃんたちは、お前が救った人たちに感謝され、支えられているぞ。
健一は、生まれた日のこと、知らないべ。家の田んぼは水はけ悪くて、秋になっても泥沼でなあ。母ちゃんは「子が冷える」って心配しながらも懸命に稲刈りしてた。そのうち産気づいて、産婆がお前を取り上げでくれだ。「健やかに育って」。そんな願いを託して名付けたのは母ちゃんだ。
母ちゃんが今思い出すのは、お前が小さいころのことだそうだ。「朝の暗いうちから夕方まで浜の仕事で、健一と遊んでやれなかった。ごめんな」って。毎日漁に出てた父ちゃんもそうだ。だから、「早ぐ漁師になりてえ」と高校2年で退学したとき、親を助けようと思ったんだって涙があふれた。
暮らしていた地区で津波にのまれた消防団員は9人もいた。副分団長が代々受け継いできた法被姿で健一が見つかったのは、2週間後で8人目、最後は分団長だった。仲間が見つかるのを待ってたんかな。お前の顔は、きれいで、表情は誇りに満ちていた。人間は助け合って生きるもんだと、命を張って教えてくれたんだ。若い団員が「健一さんの遺志を語り継ぐため、辞めません」と言ってくれたぞ。
お前の娘は高校生と中学生になった。震災後はふさぎ込んでいたが、今では勉強とバレーボールに熱中することで悲しみを乗り越えようとしている。嫁も気丈に振る舞ってる。父ちゃんたちの隣に住んで、母ちゃんも手助けしてっから、安心していてけろ。
健一。父ちゃんと母ちゃんは3年たっても時間が止まったまんまだ。つらいけど、ありがとう。【
気がつけばもう3年もたっていたのですね・・・・
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