【ソチ五輪】渡部暁、複合NH「銀」 日本人20年ぶり「ラージは1つ上に」
またメダルが増えましたね!
フラワーセレモニーで右拳を突き上げて表彰台に勢いよく飛び乗った。「キング・オブ・スキー」と呼ばれるノルディック複合で20年ぶりのメダル、銀を獲得した渡部暁斗に、晴れやかな笑みが広がった。
昨季の世界選手権では4位が3回。遠く望むだけだったメダルを手中に収め、「すごくうれしい。金を狙って勝負したが、そこは実力不足。力は出し切れた」。冷静な口調の中にも充実感がにじんだ。
25歳で迎えた3度目の舞台は自分を大きく見せることがなくなった。「五輪は4年に1度来る壁みたいなもの。僕の方から向かって行かなくてもいい」
最初の五輪の記憶は1998年長野。地元・白馬村で行われたジャンプ競技だ。船木和喜らが大ジャンプをそろえて金メダルを獲得した瞬間の地鳴りのような歓声をはっきりと覚えている。その春、小学4年でクラブに入り、本格的にスキーを始めた。長野県はジャンプも距離も取り組むシステム。すでに小学校の文集に、将来の夢として「五輪選手」と記していた。
白馬高校時代に初めて出場した2006年トリノ五輪は「楽しんだけど得たものはなかった」。早大時代の前回10年バンクーバー五輪は、ワールドカップ(W杯)の表彰台にも乗るなど期待が高まりつつある時期だった。周囲に求められ「メダルを取りたい」と言ってはいたが、実力が足りないことは自覚していた。「発言とのギャップが葛藤だった」という。
そしてソチ。2シーズン前にW杯で4勝を挙げて個人総合2位。昨季は同3位。「僕が向かわなくても五輪は来る」。実力を備え自然体で臨んだ結果の銀メダルだった。
今季は後半距離を磨くため、ロードバイクを購入しスタミナを強化。夏場にはニュージーランドに渡り、雪上でフォームを磨いた。父の修さんが「遠征の荷物もしっかり畳んで入れるし、小学生の頃からジャンプ練習のビデオを繰り返し見ていた」という真面目な男はコツコツと課題と向き合い、乗り越えてきた。
個人のメダル獲得は94年リレハンメル五輪での河野孝典(現代表コーチ)以来、2人目。「金メダルを取って、誰も成し遂げたことのないことをしたかった。でも河野さんと同じ銀はうれしい」と納得はしたが、欲もある。次は18日の個人ラージヒル。「今度こそ。1個上の高い表彰台に乗りたい」と視線を上げた。