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桂歌丸さん天国へ 1日に容体急変 孫らに看取られ 【換金くん琴似店ブログ】

 日本テレビ系「笑点」の司会などで知られた落語家桂歌丸(かつら・うたまる)さん(本名・椎名巌=しいな・いわお)が2日午前11時43分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため横浜市内の病院で亡くなった。81歳。肺気腫などで入退院を繰り返し今年4月から入院していた。通夜・葬儀は近親者で営む。喪主は妻冨士子(ふじこ)さん。11日午後2時から椎名家・落語芸術協会合同のお別れ会(告別式)を横浜市港北区菊名2の1の5の妙蓮寺で行う。
歌丸さんは肺炎のため今年4月24日に入院した。同29日、誤嚥(ごえん)を起こして呼吸困難になり、病院側に「身内の人に集まってもらうように」と言われ、三遊亭円楽(68)三遊亭小遊三(71)も駆けつけたが、奇跡的に回復した。

 その後は容体も安定し、6月26日に関係者が見舞うと、話もできる状態で「8月の(国立)演芸場も1日ぐらい出られるかな」と復帰に意欲を見せたが1日に容体が急変。この日朝には妻冨士子さん、子ども、孫らが駆けつけ家族の見守る中で静かに息を引き取った。その後一門の弟子、小遊三らが駆けつけたという。

 遺体は自宅近くの葬儀所に移され、家族のみで密葬を行うという。入院前の4月19日、国立演芸場で「小間物屋政談」を50分も演じたのが最後の高座だった。

 歌丸さんは若い頃から病気との闘いだった。メニエール病にヘルニア、胆のう摘出手術、00年には急性汎発性腹膜炎で救急車で運ばれたこともあった。08年に腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症を手術、14年に閉塞性肺疾患と肋骨(ろっこつ)骨折、15年にはインフルエンザと腸閉塞を患った。肺気腫が持病となり、15年12月に息苦しさを訴え、「このままでは肺炎になる」と入院。予定した新宿末広亭の正月初席も欠席した。16年7月には腸閉塞で入院、17年4月にも肺炎で入院し、入退院を繰り返した。

 しかし、高座への意欲が衰えることはなかった。16年に東京・新橋演舞場で行われた芸歴65周年記念落語会では、十八番「竹の水仙」を50分にわたり熱演。国立演芸場の16年8月の中席で復帰後、同14日の80歳の誕生日には、高座の上で祝福され「80歳を折り返し地点として、自分の落語道を進んでいきたい。来年も(三遊亭)円朝ものに挑戦したい」と語り、病床でも8月の国立演芸場での復帰を目指したがかなわなかった。

 「笑点」では65年にスタートした前身番組「金曜夜席」からのメンバーだった。40周年となる06年に5代目三遊亭円楽に代わり、5代目司会に就任。50周年の16年に司会を春風亭昇太に譲り終身名誉司会者に就任した。国民的演芸番組になった「笑点」の顔だった。

 一方で、古典落語に力を入れて埋もれた落語を復活させ、円朝作「真景累ケ淵」「牡丹燈籠」を練り直した。04年に落語芸術協会の会長に就任し、協会の発展に尽力した。そんな歌丸さんの負担を少なくしようと、6月の総会で副会長の小遊三が会長代行となる人事が決まった矢先だった。

 晩年は腰痛のため車いすで移動、酸素吸入のチューブを付けての高座だった。体重も30キロ前半に減ったが、演じる時の居ずまいにブレはなかった。落語にすべてを注いだ人生だった。

 ◆桂歌丸(かつら・うたまる)1936年(昭11)8月14日、横浜市生まれ。51年に5代目古今亭今輔に入門し、古今亭今児を名乗る。54年に二つ目昇進。61年に桂米丸門下に移り、米坊を経て歌丸に。66年に日本テレビ「笑点」のレギュラーとなり、人気者に。68年に真打ち昇進。67年「爆笑野郎 大事件」で映画初出演。ドラマ、テレビCMなどに幅広く活躍した。05年に芸術選奨文部科学大臣賞、07年に旭日小綬章を受章。得意演目は「真景累ケ淵」「牡丹燈籠」など。

桂歌丸さん天国へ 1日に容体急変 孫らに看取られ

小さい頃から見ていた方が亡くなるのは淋しいですね。

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