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麻原彰晃の三女「アーチャリー」が教団の実態語る 報道とは違う実情も

日本を震撼させたオウム真理教事件。麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(59)の6人の子どものうち、当時11歳にして「正大師」として教団幹部の地位にあった三女のアーチャリーの名を記憶している人も多いだろう。

3月20日、地下鉄サリン事件から20年を迎えたこの日、そのアーチャリーこと松本麗華さん(31)が、自らの半生と教団、 事件についての告白本「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記(講談社刊)」を上梓した。

本書では、自身の生い立ちや教団内での生活、事件や裁判の裏側を自身の言葉で率直に語っている。また、松本死刑囚の家族として、当局からの監視、ときに悪意ある報道の中での生活を余儀なくされてきたこと、オウム真理教の後継団体アレフとの関係も取り沙汰され、進学やアルバイトでは何度もつらい目にあったことも綴られている。松本さんに本書を執筆することになった経緯や、自身が体験した教団内の実態について話を聞いた。

「三女アーチャリー」ではなく「松本麗華」として生きる
―今回、著書を執筆し、ご自身の考えを社会に訴えていこうと考えたきっかけ、動機を教えてください。

「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」松本麗華、講談社
「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」
松本麗華、講談社 写真拡大
松本麗華氏(以下、松本):元々は父の裁判で何が起こっているのか、を記録として残したいという思いがありました。自分自身、生きていく道が見えていなかったので、生きている間に、それだけでもやっておきたいと思ったんです。

ですが、出版社の方から「そんな甘い考えでは無理だ」と言われました。お父さんのことだけを書くならば、それは甘い考えだと指摘されたんです。その言葉は、自分の心に突き刺さりました。

「甘い考えじゃないなら…」という問いは、「あなた自身が生きるなら…」という問いでもあると思いました。「お父さんのこと、お父さんのこと」ではなく、自分自身が生きていきたいのか、と考えたときに、改めて自分の中の「生きたいのかもしれない」という気持ちに気が付いたんです。

一方で、今までのような形では生きていけないということは、もうはっきりしていました。執筆中に、公安調査庁は、私を、オウム真理教の後継団体とされるアレフの幹部だと認定したのです。

さかのぼれば、「10年たったら普通に生きられるようになる」と思って10年耐えてきました。10年たった頃に、ちょうど妹が家出するなどの騒動があり、再び「三女アーチャリー」の名前が報道されるようになってしまいました。結果として、平和になるどころか、余計に激しい好奇の目にさらされることになりました。

それからさらに10年経過し、20年の時が経ち、アレフとの間に、何のやり取りがないのにもかかわらず、幹部だと認定されてしまう。いつまでも、「麻原の三女」「三女アーチャリー」と言われてしまう。

教団、父の付属物として扱われるのではなく、一人の主体性のある人間として、松本麗華として生きられる道を模索しようと考えました。そのためには、何か変えなければいけない。

自分のプライベートなこと、自分の考え方、そういうものを知られることは非常に恐ろしいですし、逃げたかった。それでも、本を書くことそのものが、自分自身を取り戻していくための作業でした。今、こういうことをお話しできるのも本を書いたからだと思っています。

本を書くことで、好奇の目や新たな批判に晒される可能性もあるので、今でも怖いですし、発売日以降、どうなるんだろうと考えると不安にもなりますが、やってみるしかないと思って執筆しました。

―オウム真理教は犯罪者集団であり、松本死刑囚はそのトップという認識を持っている方がほとんどだと思います。ただ一方で、ご著書を拝読すると、一連の事件後の教団や麗華さんをめぐる報道では、行き過ぎたものや誤ったものもあったと思いました。オウム真理教や関連団体に対するメディアの報道をどのように見ていますか?

松本:メディアの報道は「わかりやすさ」を求めすぎているように思います。「犯罪者集団なら犯罪を起こすのが当然ですよね、当たり前ですよね」と。そういうものを求めているのではないでしょうか。

最初から“ストーリーありき”での情報集め、証拠集めになっているものも多いと思います。漠然とした、どうなるかわからないものの中から、証拠を見てストーリーを作るのではなく、“ストーリーありき”なんだろうなということは、20年間ずっと感じていますね。

―例えば、ご著書の中では、自身の来歴によって解雇される不安を抱えながらアルバイトで資金を貯めたにも関わらず、語学留学を週刊新潮に「大名旅行」と報じられたというエピソードが紹介されています。(※名誉棄損で訴訟、地検で謝罪広告の掲載などが認められる。後に控訴審で和解。)

松本:この20年間、父に関する報道も、あまりにも嘘が多かったので…。例えば、「父の側近だった と言って、いろいろ書いた人もいるのですが、私はその人のことを覚えていないんですよ。要は「側近」でも何でもないわけです。

ちょっと遠くで父の警備をしていたことぐらいはあったかもしれません。でも、おそらく父と話したことはほとんどないでしょう。にも関わらず、あたかも父の側近だったかのように装って、虚実織り交ぜて、「怪物麻原」を作り上げていく。そうした過程も体験しているので、報道に対してはずっと不信感を持っています。

教団の中で麻原彰晃は“絶対”ではなかった
― 若くして「アーチャリー」という教団内での役割を任されていた麗華さんにとっては、事件後も教団あるいは、その後継と考えられる組織の中にいた方がある意味“楽”なのではないでしょうか?にもかかわらず、様々な苦労をしながら、何とか一般社会と関ろうしているように思いました。それは何故なのでしょうか?

松本:「教団の中にいた方が、楽なんじゃないか、『正大師』という確固たる地位があるじゃないか」とおっしゃったのですが、私はまったくそのように考えていないんです。

教団内の宗教的な解釈では、宗教的地位、教団内では「ステージ」という言い方をするのですが、それが高いものは苦しみなどを超越した存在なのです。つまり、煩悩もなく、どんなことをされても平気だ、という前提になるんです。

逆にステージが下に行けばいくほど、様々な煩悩や欲求があるので保護されるべきだと考えられているのです。そこは一般のイメージと逆転している部分があるのです。

もちろん、大切にしていただいた面もあるのですが、それは一つの側面にしか過ぎません。本の中にも書きましたが、根本的には、ステージが上の者に対する愛、優しさというのはありません。そういう状況は生きにくいわけです。

例えば、私が「死にたい」といっても理解してもらえません。「なんで正大師が死にたいの?」となってしまう。「死んでしまいたい」と言って、自分の弱みを見せても、それを理解してもらえない。「正大師だから大丈夫ですよね?」と言われて、自分の相談を始められたりしてしまうのです。ですから、「教団の中にいた方が楽なのでは」ということはまったくありません。

その前提の上で、私自身が、社会の中で生きたいと考えた最も大きな理由は、学校にどうしても行きたかったからです。同世代の子が、何を考え、どのように過ごしているのか。そのことに大きな関心を持っていましたし、学校生活に大きな憧れというか夢を持っていました。

そして、そうやって社会と関わろうとする過程で教団と離れていれば、教団の良かったこと悪かったことが客観的に見えてきます。そうした中で、「教団に戻る という発想はなく、「私は社会の方にいたいと考えるようになったのです。

―麗華さんは、肉親として松本死刑囚に対して親愛の情を持っているように思います。オウム真理教の教祖であった松本氏と教団というのは一体というイメージを持っているので、父親に対する思いと教団に対する感情には矛盾するものがあるように思うのですが。

松本:教団と父はまったく違うものです。いままで教団が父の権利を守ったことはありません。

本の中でも書きましたが、教団幹部は、拘留中の父のメッセージを改ざんして、父の希望を私たち家族に伝えることはありませんでした。これは、「教祖が絶対だった という教団幹部の主張が嘘だったことの証明だと思います。宗教的に絶対である父の言葉を変えているわけです。「神の言葉を変えられますか? という話です。

写真を掲げてひれ伏しながら、大事にしていないという感覚は中にいないとわからないかもしれません。しかし、実態はそんなものでした。

―裁判の中では、幹部たちが「松本智津夫の指示を受けた」と証言し、松本氏に死刑判決がくだされています。教団内では、教祖の権限が一番強く、その意のままに信者たちは動くというのが一般的なイメージだと思うのですが。

松本:私が見た限り、オウム真理教は幼い組織ですので、そういう指示命令系統がしっかりしているわけがないんですよ。サークルでももう少しまとまったものもあるかもしれないぐらいです。

省庁制が出来た段階で各省庁の大臣がほとんどの裁量を持っていました。その上、その大臣の言うことを聞くかどうかも自由なんです。

出家者のことを「サマナ」と呼んでいたのですが、「不良サマナ」という言葉があったぐらいです。仕事をしているのか、修行をしているのか、何をしているのか、わからないけれど、そこら辺をプラプラしながら、いろんな人と話して楽しそうに過ごしている人もいました。

―しかし、「出家する」というと、「俗世のすべてを捨ててオウムの教義に染まるために…」という風に思ってしまいます。

松本:出家後3ヶ月ぐらいは皆さん、そうした思いを持っているのですが、実際に教団内に来てみれば、日本というか外の社会と変わらない世界なので、すぐに感覚は社会と同じになりますよね。

教団内は、一般社会の日常よりもっと緩いかもしれません。衣食住を保証されていますし、「オウムは共産主義だからね」などと言われていたぐらいですから。

私も修行していなかったですし、修行しない人はまったくしませんでした。「あの人は修行しないから」みたいに言われている人もいますし、そんな毎日きっちりとかそういう世界ではなかったです。規律がない世界でしたね。

「正大師」といったところで、企業の部長さんとか課長さんとかの方がまだ権限があるでしょうし、尊重されていると思います。それこそ会社なら、職務規程や就業規則で、部長や課長の権限が明確化されていますが、教団ではそうしたものがありませんからね。

そういうものがないのに、1000人以上の人が集まったら、しっちゃかめっちゃかです。

―そうした実態や、各省庁の幹部がそれぞれの実権を持っていたということを考えると、すべてがすべてお父さんの指示だったとは思えないと?

松本:父にどこまで、何を報告していたのか。事件以外のことについても疑問があります。やっぱり、やましいこと、隠せることは隠すと思います。人間の性ですから。であれば、事件なんてやましいわけですから、彼らはちゃんと報告したんだろうか、という素朴な疑問があります。

先ほど、「父と教団が一体であるという方がわかりやすい」とおっしゃいまいたが、漏れ伝わってくる話では、後継団体の中で「早く尊師の死刑が執行されたらいいのに」「そうしたら、報道される機会もなくなって教団を拡大できるのに」といった話がされることもあるそうです。死刑が執行されれば、父を完全に神格化して、象徴にできるというわけです。

それを私が出てきて、父のみっともない姿、悲惨な姿、病気の姿をしゃべると、入信者が減ってしまう。こうした自身が崇める神の死を願うという状況は、宗教上はどうなっているのか理解できません。

―今お話を聞いた限り、麗華さんの考えと、国からアレフの幹部として認定されているという事実の乖離は大きいように思います。国の機関や公安庁とのやりとりというのはどのようなものなのでしょうか?

松本:監視はされるのですが、彼らは全然会いにこないんです。公安の方に「死ぬまで監視する」と言われたことはありますが。

―それ自体に意味はないのかもしれませんが、ご自身で状況を説明する機会などもないのですか。

松本:それは意味ないですね。だいたい、あちらが作る証拠というのは、会話を切って貼って、ストーリーにあわせたものですから。

私は母とも現在は関わりがありません。アレフの中では、「あのクソ女が…」などと言われています。「正大師」と崇められているはずが、「あのクソ女」ですからね。それでも公安庁からは幹部認定されているのです。

「洗脳されていた」と言えた方が楽

―宗教団体の中にいる人というのは、洗脳されているので、視野が狭くなり、教祖の言うことは全部聞くというイメージを持っていたのですが。

松本:昔から、違和感を覚えていました。「絶対の真理というけれども、真理って何?」「こんなものは一面だよね」という思考もありました。

出家されていた方で、事件後オウムから離れて、普通の生活をしたいとお考えの方々にとっては、「洗脳されていた」という風にした方が非常に生きやすいなと思います。「自分は当時無思考だった」「わからない ですべてを片付けられるのですから。

しかし、多くの人がちゃんと思考していたと思います。例えば、マインドコントロールされて、洗脳されていたら、男女間の関係なんて起こらないですよね。でも、実はそうした話もたくさんありましたし、戒律のようなものもほとんど守られていませんでした。もちろん真面目に守っている人もいましたが、それは個々人の差で一律じゃないですよね。

―それは意外ですね。

松本:そこは普通の日本で生きていて、入ってくる報道で判断するしかないですから。例えば、今記者さんが思い込まれているような教団のイメージがありますよね。それと照らせば、私が洗脳されておらず、キチンと思考しているというのが意外な訳じゃないですか。

それぐらいの思い込みは教団内でもあったと思います。逆に言えば、その程度の レベルでしかないわけです。

―みんなヘッドギアつけて、宗教服を着てといったイメージが先行しているのですが。

松本:宗教服といっても、言ってみれば背広とかスーツと同じです。普通にスーツ着ている人もいましたし、宗教服も生活服としてきているだけで、着ているから「今日もいっぱい修行してるぞ」というようなことはなかったと思います。それこそ、パジャマのように“着た切り雀”みたいな感じで、生活しているだけなんです。無料でもらえたから着てるというだけの人もいました。

―我々が想像しているよりも普通の社会と変わらないと?

松本:普通の世界です。そこらへんに買い物に行って、服を買うじゃないですか。そういう感覚でオウムのTシャツを買うんです。

なので、マインドコントロールとか洗脳ということでいえば、正に今記者さんが思い込まれていたオウムへのイメージみたいなものと同じです。記者さんは、今までの報道によってオウムに対するイメージについて、ある意味洗脳されているかもしれませんが、それでもいろんなことを思考しますよね。それと同じで、洗脳されて思考が止まることはありません。教団の中では、「本当に洗脳してくれるなら、洗脳してほしいよね」みたいな冗談も飛び交っていました。

本当に洗脳されたなら、男女の関係のことで懊悩する必要がなくなるわけですが、実際には洗脳されているわけじゃないので考えてしまう。「オウムが本当に正しいのかどうか」というのも考えてしまうわけです。洗脳してくれた方が楽なのに、考えて苦しんでここにいる。そういう方も多かったと思います。

ですから、今回本で言いたかったことの一つに、「教団内の中と外は、それほど変わらないんじゃないか」ということがあります。オウムの教団の中と一般の社会にそれほど違いはありません。その変わらない世界の中で、何故事件が起きたのかを考えなければいけません。

事件に向き合い続けていかなければいけない
―3月20日は地下鉄サリン事件が起きた日でもあり、メディアでもオウム真理教が引き起こした様々な事件について報道されると思います。事件のご遺族の方々への率直なお気持ちをお聞かせください。

松本:「率直に…」、「率直に申し上げられるぐらい」簡単なものではないと思います。ご遺族の方にも様々な方がいらっしゃいますし、私はそれを知ることしかできない立場で、報道を見れば、一生懸命見ます。ただ、なんと言いますか向き合っていかなければいけない。

ご遺族が苦しまれているという現実には向き合い続けなければいけないし、オウム事件がなんだったのか。どうやったら、このような事件が起きないのかということについて、考えて、考え続けていこうと思っています。

―今回のご著書をどういう方に読んでほしいと考えていますか?

松本:本当に多くの方に読んで、もう一度事件とはなんだったのか、考えてほしいと思います。特にオウムに関わった方々については、読んで教団や事件について改めて考えるきっかけにしていただければと思っています。

実は私はオウムにいたころから、居場所を求めていました。今も、私は居場所を求めています。本書は居場所という視点から読んでいただくこともできるのではないかと思っています。

また、不登校の問題がありますが、不登校の子たちにもぜひ読んでみてほしいです。私は学校に行く権利を認めてもらえず、苦しんできました。不登校になれるというのは権利です。

―2010年には妹さん(松本 聡香氏「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~」)も手記を出版されています。

松本:その本について感想をお答えすることはできませんが、私が書いた本について言えば、まさに、自分の経験をそのまま書いたものです。皆さんに受け入れてほしい、批判が怖いということで、妥協しないようにということを意識しました。

先程申し上げたように、「洗脳されていたから」で過去にオウムにいたことについて理由づけできた方がわかりやすいとは思います。でも、それこそ一種の洗脳による思考停止でしかありません。苦しいけれども向き合って考え続けていかないと、時間は動かないんじゃないかと考えています。

―これからもご自身は、アレフの幹部だと認定されたことや報道などについて法廷を含め、闘っていかなければいけないことになると思いますが。

松本:出来ることは何でもやりたいと思っています。これから、どういう人生が待っているかわからないですが、自分が出来ることは何か、と考えながらやっていくしかありません。

家族については見守るしかないとは思っています。家族のことだけではなく、今もいろいろな事件が起こっていますし、その中で、何かわからないのですが、自分が出来ることを考えていきたいですし、何かお話が合った時にはしっかり考えていきたいと思っています。(3月18日、都内にて)

私はアーチャリーと同じ年齢なのですが、事件当時、私は小学生で、同じクラスの女の子にアーチャリーにそっくりな子がいて、その子のあだ名は
『アーチャリー』はもちろん、『尊師』『グル』『ポア』『ガス』など様々な呼ばれ方をしていました。小学生って残酷だなぁ…

麻原彰晃の三女「アーチャリー」が教団の実態語る 報道とは違う実情も

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